1月13日に無事パルコミュージアムでの篠原有司男・篠原乃り子二人展Love Is A Roar-r-r-r! In Tokyo / 愛の雄叫び東京篇が終了いたしました。会期31日で、総入場者数4,762人、ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
とか思っているうちに、今日は1月16日、オスカーのノミネートが発表され、キューティー&ボクサーもドキュメンタリー部門でノミネートのニュース。
そのお祝いの気持ちもこめて、展覧会のパネルテキストを、これから順次アップしていきたいと思います。映画のほうは、ほのぼのとして面白くてよいのですが、アート畑の人間からすると、アートに対する理解がいまひとつ、少なからず誤解も出回っている観もあり。。。
引用などはご自由に、ただし、筆者・富井玲子のクレジットと出典(下の青の部分)は必ずつけてください。
篠原乃り子の変身譚
© Reiko
Tomii 2013
出典:富井玲子「Love Is A Roar-r-r-r! In Tokyo」展解説テキスト
アーティストに限らず、人間というものは時として突然に仕事が大きく開花する。
たとえば、篠原乃り子。何しろ、日本の60年代美術の旗手、篠原有司男の夫人だから、常識で考えても彼女のアートの道が容易でなかったであろうことは想像にかたくない。
20歳以上の年の差があるといっても、ジョージア・オキーフのデビューを助けたアルフレッド・スティーグリッツのような包容力は望めない。
二人が出会ったのは1973年。有司男のほうは69年の渡米だが、NYでは事実上まだまだ無名の存在。どちらかといえば、自分の制作を後回しにして内助の功で無名のジャクソン・ポロックの活動をささえたリー・クラズナー的な役割が乃り子にまわってくる。
芸術家の夫という「大きな子供」を一人かかえた点では、リーも乃り子もかわらない。しかし、乃り子には有司男との間に早速授かった一粒種のアレックス空海の養育もあった。いわば二十歳にして子供を二人抱えて貧乏画家の暮らしを余儀なくされたわけだ。
ゴシップめくが、それはそれで面白いライフ・ストーリー。こうした苦労は乃り子が著書『ためいきの紐育』に自ら書いているし、ドキュメンタリー映画《キューティー&ボクサー》のテーマにもなった。
問題はアーティスト・篠原乃り子の展開だ。
バイク彫刻でNYでも開花した有司男が日本や世界各地で十八番の《ボクシング・ペインティング》を再開するのが90年代。同時期、乃り子のアーティスト魂が再稼動。2000年には二人が生活するブルックリンのロフトで「女王国」を宣言し、有司男の侵入を禁じた自らの聖域を確保。絵画や版画制作へ、より積極的に専心しだした。
転機が訪れたのは「Cutie=キューティー」なるキャラクターの創出。道で見知らぬ若い男性に「Hi, Cutie(ヨー、カワイ子ちゃん)」と声をかけられたのがきっかけ。キューティーのハズバンドで有司男に似たブリーも登場して、篠原家さながらの夫婦物語を演じる。
が、こちらはフィクションの世界。極貧ゆえにいつもヌードのキューティーが「これが私たちの本当の話」と語り始めるや、ブリーが「ふん、全部嘘だぜ」とうそぶき、第三者の飼い猫・モッカリーが「ホントにホントの話を知っているのは僕だよ」と合いの手を入れる。
ブリー=Bullieは、「いじめっ子=bully」と「雄牛=bull」が掛け詞になっているし、猫のモッカリーは「mock=嘲る」をもじったMockerie。乃り子の文学的才能と英語のセンスが光る。
アーティスト・ブックやタブローやドローイングなど小型サイズのキューティー作品も数多いが、2010年作の《キューティーの絵巻絵画》では全長22メートルの壁面いっぱいに悠々と夫婦の愛憎を描き出す。その描画力たるや、水を得た魚のように自由闊達。有司男のバッド・ペインティングを凌駕するエネルギーの今後の行方が楽しみだ。
富井玲子